幸せを感じる土台とゲーム依存は、全く関係ないように思えて、つながっています。社会による心の抑圧によるストレスは、ゲーム依存を引き起こし、幸せにつながる土台の自分の欲求に蓋をします。
メルカリ




幸せを感じる土台
幸せを感じるのに、必要な能力とは、何でしょうか?世の中の人は、全員幸せに生きるべきだと私は思います。一方で、沢山の人が幸せではないと感じながら生きていると想像します。多分、その原因は、自分の心から自然に湧き出てくる欲求を抑圧しているからです。欲求を抑圧しつづけていると、心から自然と湧き出てくる欲求が無くなってしまって、自分は本当に何がやりたいのか?何が好きなのか?等が分からなくなります。このような状況では、そもそも幸せの道しるべすらなく、非常に苦しい状態になってしまします。基本的には、自分の気持ちを抑圧しすぎるのを避け、幸せを感じる土台の自分の欲求が自然と心から湧いてくる状態をキープするということが大事です。
職場や学校は自分の欲求を抑圧する場
一方で、自分の欲求だけを追求すれば社会生活をしていく上で、色々なトラブルを起こしてしまいます。ですので、多くの人は、自分の欲求を追求する場と、社会性を優先する場を、意識的にせよ無意識にせよ切り替えながら生活しているはずです。自宅が欲求を追求する場、会社、学校が社会性を優先する場という人が、ほとんどと思います。自宅で、漫画を読みすぎる、動画を見すぎる、ゲームをしすぎる、寝すぎる等々の行動は、自分の欲求を優先させている行動なので、罪悪感を持つ必要はなくて、心のままに追求することは、むしろ幸せへの一歩ではないでしょうか。自宅で自分の欲求を追求することが出来れば、逆に自宅の外では、社会性のある行動を取ることが出来ることにつながります。特に、職場や学校での気持ちの抑圧が強い人ほど、自宅で何かに没頭、没入することで、職場や学校で受けたストレスを解消しなければならなくなります。この結果、職場や学校から帰って夜中や明け方まで、ゲームをしたり、動画を見てしまう人が出来上がります。こういう人がゲーム依存、タブレット依存などと呼ばれるようになってしまいます。私には、このゲーム依存やタブレット依存は、ゲームや動画が悪いのではなくて、その人が置かれている環境が悪いだけに思えます。そのような人が居たら、ゲームやタブレットを悪ととらえて取り上げるのではなく、優しく声をかけてあげ、日々の生活の愚痴を聞いてあげるのが、いいのではないかと思います。今ゲーム依存や動画、漫画に依存してしまっている人は、その環境が自分にあっていないことを意味しているので、休む、環境を整えることを考えるといいのではないかと思います。
おわりに
幸せを感じる土台である「自分の欲求が自然と心から湧き出る状態」に自分を置くためには、社会性のある場と自分だけの安全基地である自宅を上手に使い分ける必要があります。この記事が誰かの参考になればうれしいです。本ブログでは、他にも人間関係についての記事を書いているので、そちらも参考にしてもらえると嬉しいです。



コメント