子どもの不登園体験談

こどもの不登園は、親にとっては青天の霹靂です。何をしたらいいのかたいそう混乱し、四苦八苦しました。自身の体験談が誰かにとっての参考になるかもしれないと思い、この記事を書くことにしました。

入園までの話

 不登園が始まったのは、幼稚園の時でした。年少になる前の年、複数の幼稚園の説明会に参加して、最終的には、モンテッソーリ教育の幼稚園に入れることにしました。私が息子を幼稚園に入れる折、将棋の藤井聡太さんが活躍し始めた頃であり、藤井さんがモンテッソーリ教育を幼少期に受けていたと、しきりに報道されていたことにも後押しされて、モンテッソーリ教育の幼稚園に入れることに決めました。誰でもそうかもしれませんが、入園する前は、子供の自主性が育つとか、集中力が付くことなど、モンテッソーリ教育のいいところだけが目に入っていました。

入園後の話

 幼稚園には、園バスで登園していました。子供が通園していた園では、バスの中では、お茶も飲んではいけない、しゃべってはいけない、騒ぐなんてもってのほかという雰囲気でした。また、入園してからは、縦割りのクラスの中で、おとなしく黙々とお仕事(子供でも出来る簡単な作業(お茶くみの練習、パンチで紙に穴をあける、針と糸を使った裁縫の練習など)を行う。外遊びは、昼ごはんの後の時間だけ。というような今考えればかなり抑圧した生活を送っていました。そのような生活に多くの子供は適応できていたのかもしれませんが、わが子は無理でした。それを理解するまでに、とても長い時間がかかりました。

帰宅後のこどもの様子

園バスで通園していたため、子供のお迎えは、園バスのバス停でした。特徴的だったのは、園バスが見えなくなった瞬間に持っていた荷物から手を放して、とても疲れた様子で自分で歩くことも出来ない(自分では歩かない)状態になっていました。そして、帰宅した後は、とにかく大きくて高い奇声を上げながら親や娘に暴力を振るう毎日でした。また、物欲も強くとにかく食玩などの小さいおもちゃを買わないと家に帰ることができませんでした。年少の頃から不登園が始まる年中の冬まで、ずっとそのような状態でした。この頃の私には、この状態が異常な状態であるということが分かりませんでした。

不登園の始まり

年中の夏頃から園に行く準備をしない等、うっすらと兆候は出ていました。年中の11月、ついに園に登園できなくなりました。親にとっては、晴天の霹靂でした。不登園が始まった当初は、その頃放送していた仮面ライダーのベルトを買ってあげるから等々、物で釣って登園させようとしました。あるいは、力づくで園に連れて行ったりもしました。ですが、それでは全く継続した登園にはつながりませんでした。園の園長、主任、担任の先生に相談しても、連れてきてくれたら何とかするからと言われるばかりで、全く意味がありませんでした。結局、色々と四苦八苦して12月の末頃には、もう何をしても子供が登園するのは無理であるということが身にしみてわかりました。そして、そもそもわが子には、モンテッソーリ教育があってなかったという事実に、1年半かかってようやく、骨身にしみて理解することが出来ました。

そのあとの話

結局、わが子は、幼稚園を1月で退園しました。そして年長で保育園に入りなおしました。年長時代は、保育園の担任の先生がとてもいい先生だったおかげか、生き渋りは少しはありましたが、無事に普通に通うことができ、無事に卒園することが出来ました。今になって思えば、本当にわが子には、しなくていい苦労をさせてしまったなぁと思ってしまいます。人生一度きりで試してみないと分からないことも多いので、しょうがないこととは思うのですが、この不登園があって、こどもの気持ちについて、良く考える機会になったと思います。小学校に上がってからも色々とあるのですが、それは、また別の記事で書いていきたいと思います。

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