我々の生活は、お金を媒体に成り立っています。そもそもお金とは何なのか考えてみます。
お金がなかった時代の生活
人々は、物々交換しながら生きていました。ある人が、その人の特技を使って取った食べ物や、特技を使って作った衣服など、それぞれの人が自分の強みを生かして作ったモノ同士を交換しあって生活していました。このことを概念化して考えると自分の特徴を生かして生み出した価値を、別の人がその人がもつ特徴を生かして生み出した価値と交換していたという言い方が出来ます。この原初の人間の生活は、「人間は特技を生かして価値を生み出し、それを社会に還元する」という本質を表しています。このことから、結局人間は、自分の弱みを克服しても、価値創造と社会還元できないということがわかります。
お金を媒体とする時代の生活
物々交換するには、重いものや運びづらいものは、向かないという問題を解決するために、人々は、次にお金を発明しました。このころから、物の価値は、お金という指標で計られるようになります。物々交換の延長線上なので、金を媒体として使っていました。金は、量が多くなると持ち運びの問題が出てくるので、もっと簡単に持ち運びできるように、金と交換することが出来るチケットとして、貨幣いわゆる「お金」が出来ました。この時代までは、金と交換できるチケットとしてのお金を媒体に物々交換して、生活していました。物々交換できる力としてお金が存在します。物々交換できる力の総量のことを「富」といいます。この時代までは、富は、金の総量と一致し、お金の総量と一致します。この時代、金の目線で見た時の国の重要な役割は、金とお金の交換を担保することでした。この制度はいわゆる金本位制と呼ばれます。
お金と金との交換機能の停止
その後、国同士の交易が本格的に始まると、お金の流通量に比べて、国が持っている金の総量が足りなくなるという問題が起こりました。また、もう一つの問題は、国内の交易では、金の総量は変わらないのですが、国同士の交易では、国が保有する金の総量が変わってしまう問題が生じました。このことから、国は、お金の価値を金で担保するという手法が機能しなくなり、金とお金を交換する機能を停止することにしました。金とお金が交換できなくなった問題の本質は、物々交換の総量が増えるとお金の総量を増やさないといけないので、お金の価値が下がるということです。お金とは、経済活動が維持され続ける限り、価値が下がり続けるという特徴があります。すなわち、富をお金という形で銀行に保有して、長い期間置いておくと、富は目減りします。一方で、金は、長期保有しておいても価値が下がりません。したがって、金の値段が上がって行くということは、お金の価値が減っていっているという見方の方がより実情に合っていると思います。楽天の証券の金の価格の長期チャートのリンクを張っています(https://www.rakuten-sec.co.jp/web/fop/commodity/lineup/gold_long_chart/)。1975年の金の価格は、1トロイオンス(31.1034768グラム)あたり200ドルですが、2024年では1トロイオンスあたり2000ドルとなっています。すなわち、200/2000=1/10となり、ドルの価値は、約50年で10分の1になっていることが分かります。これが、お金は、価値が減少しつづける特徴を持っている証拠です。
まとめ
お金は富の形の一つであることは、間違いありません。一方で、金は価値が維持し続けるのに対して、お金は時間がたつほど価値が目減りするという特徴があります。また、人間の価値創造の源泉は、苦手なことではなく、得意なことであることを説明しました。この記事が皆さんの参考になればうれしいです。本ブログでは、お金にまつわる記事を書いているので、そちらも参考にしてもらえると嬉しいです。



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